今、我々には生活する為の情報が必要です。

 

皆さんは「身体障害者の日常」を考えた事があるでしょうか?

身体障害者の生活と言うものは、健常者が想像している数倍から数十倍常軌を逸しています。

これを書き記している私も右手の麻痺があり、利き手であった「元右手」を封印し生活しています。

もうむしろあるだけ邪魔な訳ですが、こんな右手も「腕の関節は機能している」事により助かっている事もあります。

しかし決定的に邪魔である所以として「腕は動くから健常者として扱われる」事がとても苦しいです。

皆さん、ご自宅に帰り玄関前についたら、そこから寝るまでの間利き手を使わないで生活してみてください。

1度でかまいません、なんなら1時間だけでもいいです。

恐らくは、できる事が減り何もする気力がわいてこなくなり、今目の前にあるモノ全てが「生活の足枷」に見えてくると思います

これが続くと、数か月先の自分・数週間後の自分・明日の自分と黒い恐怖がベットリまとわりつき、遂には数時間後の事を考える自分すらが難破状態に陥ります。

正直、そんなものは「現実を知った瞬間」だけの恐怖であって、コレですね、受け入れられないと生きていけないんです。

我々はそれが一生続く訳ですから。

 

身体障害者の方々に多いのが「これが当たり前だし、これでやっていくしかない」と言う結論に行きついてしまう事で、私個人としては「そんな訳ない」と反論してあげたいのです。

身体障害者はほぼそれぞれ症例が違う事も含め「誰に相談しても的を得た情報が帰ってこない」と言う辛い現実があります。

仕方ないです、それは。

私は右半身の運動能力が低く、ですが歩いたりは自力で出来てしまいます。

故に、下肢欠損の方の気持ちなんて計り知れません。

では身体障害者のそう言った「自己完結できない歯痒さ」をどうしたら解消できますでしょうか。

 

それが、本プロジェクトで取り上げる「大きな課題」です。

情報の量が多ければ、身体障害者にも選択の自由が生まれます。

 

脳内の奇形・右半身の麻痺、23年間戦い続けた結果得たものは「死ぬまでの暇つぶし」

 

少しだけ私事に触れさせていただきます。

1997年、当時17だった私に人生の転機が訪れました。

内容はクラウドファンディングの募集ページに記載されているので多くは語りませんが、その転機とは脳動静脈奇形と言う名の「絶望」でした。

死亡率のあるその悪魔と戦い続け早23年、今は生きる標本のような生活です。

学歴も低く、障害持ちである私を雇ってくれる会社は今の所ありません。

もうこれから先ずっとありえないと思います。

収入も無いので、遊ぶこともできません。

私はまだいいのです、と言うか、もう正直諦めています。

ですがこれから身体の障害と戦っていかなくてはならない若人達はどうでしょう?

もし、この記事を読んでくださる方の「大切な人」が、私の様に人生を諦めるような表情で日々過ごしていたら、貴方は何もせずにいられるでしょうか?

ですが断っておきます。

あなたにできる事はほぼ皆無です。

助ける等の個人的な定義にもよりますが、物理的な助けはできるでしょう。

ですが、身体障害者の「絶望」とは、今までの自分を捨てなければいけないという事であり、よってこれから先に見据えていた全てが崩れ去るという事なのです。

先天的な身体障害の方は、また更に違う「他人との差」に怯え、成長をしてゆかねばならないのです。

貴方は、朝起きた時、利き手の無い別人として目覚めたら、その現実を素直に受け入れられますか?

そんな貴方に対し、問題解決の切り札となる人がこの世にいるのでしょうか?

・・・結局、身体障害者の辛さは、失った本人にしかわかりません。

ですが、失った事のある我々身体障害者にはその気持ちが少なからずわかります。

もしかしたら、何か、助けてあげられるかもしれません。

その何かを探す事こそ、今回私が立ち上げたプロジェクトなのです。

 

身体障害者が抱える問題を、健常者が考えた所で根本的な解決に辿り着くとは考えにくいです。

もし仮に「そんなことない、人は解り合える」と言う方がいらっしゃるなら、私は聞き返したい。

「では何故人は未だ争うのか」と。

この企画は、そう言った大きな概念に繋がる様な話ではなく、之、困ってる人に対しその問題を現状既に理解できる人が助けると言う単純な話なのです。

 

プロジェクト内では「温度差」と言う表現を多く使っておりますが、身体障害者の事を無理に知ってもらいたい訳で無く、解り得ない事を理解していただきたいと健常者の方へ発信し、根本的には身体障害者の為の情報収集と発信が目的であるので、その情報の選別は我々身体障害者がおこなえば効率が良いと言うだけの話です。

私が記事を書くと、どうしても批判的且つ特定の方が不快に感じる内容になってしまうのですが、ここまでの内容はただ隠れてきただけの真実です。

この記事を読んでくださる皆様には、目を背けていただきたくない。

 

 

そしてこれから、身体障害者も健常者も関係なく協力し合う計画がスタート。

 

私はこの障害を持ってから常に悲観的な発想ですし、もう治りませんw

しかしながら元々楽観的且つ臆病なポジティブと言う意味不明な性格が功を結んでなのか「これってつまり、慎重に物事すすめてるんじゃね?俺まだやれるしw」と根拠のない自信を湧き起こせているのも事実あります。

実際、企画は正式に通りました。

社会で行うべき活動であると認められた訳です。

これに対し、私がどんなに健常者の発想を忌嫌おうが、我々身体障害者と健常者が協力し合わないことにはこのプロジェクトは成功しないのです。

私がこの企画を考えている最中、客観的に、ほんの一瞬、離れた所からプロジェクトを見直してみました。

「こんな事書いていいのか?お金を出してくれる人は一体誰なんだよ」

恐らく、このプロジェクトが正式に始動する場合、その支援者の8割以上が「健常者」である事が容易に想像できました。

それでも、プロジェクト内やこの記事でも過激な文章を書いてしまうのは、心のどこかで「いや、解ってくれてる、解らない事を解ってもらえてる」と可能性を信じてやまないからなんだと思います。

そこが私の希望であり、己を奮い立たせる理由なんだと思います。

このプロジェクト自体は、私には何の利益にのなりませんし、むしろ疲れや不安、批判等の反響を考えるといい事なんて何もないです。

イヤ・・・ホント・・・マジ、メンドクサイデス・・・。

すると、

 

「は?俺、何かやらなきゃいけない事でもあるの?」

↑私の中でコイツが現れるんですよ、この偽善者め!

 

解ったよ、やってやるよコノ!なテンションで始めた訳ですが、正直な所、もっと大きな理由があります。

本当は、強がっていても、誰かに助けて欲しいですし、何もできない自分が嫌なんです。

何か、自分にもできる事、あるハズなんです。

 

そう思ってる人、この世にどれだけいるのでしょうか?

 

それを考えた瞬間、頭の中のネットワークが一気に活動を始めました。

いる、仲間がいる!と。

泣き寝入りしそうな仲間、絶対に沢山いる!と。

気付いたら、ヤリ時ですよね?

もう大分かよわい記事にまで成り下がってしまいましたが、ここまでで私の語りたい事はご理解いただけたと信じております。

アブナイアブナイ、変なテンションへ入る前に、宣伝と共に切り上げたいと思います。

 

どうか皆様、この一大プロジェクトに力を貸してください!!

募金してくれ!とまでは言いません、そんな事は余裕がある方に任せればいい!!!

困っている人を助ける企画が始まったみたいだよ!位な宣伝をしてくださると助かります。

 

 

心よりお願い申し上げます。

 

クラウドファンディング「READYFOR」支援ページ

 https://readyfor.jp/projects/disabledtrikeadventure

 

 

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shinka